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欲望する脳

2010.6.20

出版社:集英社新書 著者:茂木健一郎

発行:2007年11月

人間が心や意識を持っていることは、とても不思議なことだ。人間も生き物である以上、生き延びること、遺伝子を残すことを至上命題として脳は設計されているはずだが、利己的行為のみならず利他的行為や、喜怒哀楽の感情、さらには他人の心までが読めるのはなぜだろう? このような疑問を、脳科学者として最先端で活躍する著者が、最新の脳科学の知識と文学、哲学、音楽、ワインの味覚等々の事例を総動員して解明しようとしているのが本書である。
現在のデジタル資本主義社会にあっては、自らの欲望を追求することが思想的な意味でも後ろめたさなしに肯定され、我慢が美徳などという時代ははるか昔になってしまった。インターネットをはじめ、さまざまなテクノロジーが欲望の肥大化を担っていることは言うまでもない。著者は、こうした「野獣的」に解放された欲望と、孔子が到達した心境、『論語』の「七十従心」、すなわち「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」を対比しながら、人の心のあり方を模索しようとしている。
例えば四章では、「私」という主語に囚われることは世界の真実に目を閉ざすことだと説明する。議論のなかで意見が対立したとき、「私がそう考えるんだから」と言われてしまうと、それ以上は議論が進まない。主語を置き換え可能にすることは他者への思いやりであり、ひいてはアインシュタインの「自分自身から解放される」という科学的立場に通じるとする。
あるいは十四章で、人間の知性は完成形を迎えることのない「終末開放性」を特徴としているという。それに寄り添った欲望が結果として良質になるのは当然で、その最も純粋な形が学問であり、ワインの味わいを極めることも同質の「終わりなき旅」と解く。
また二十章では、著者は生きるうえで自分の脳が次々と気づきを重ねて学習を続けていくということが一番大切だという。それは生の「一回性」の問題でもあり、その本質を考え、それにどう向き合うかという倫理問題を考察することは、生の躍動を響かせるために必要なことだと述べる。
二十一章では、怒りも哀しみもすべて引き受ける人間的な猥雑さの中から、愛する力や創造の衝動が生まれ、そこに孔子の「七十従心」を解く鍵があるのでは、と終章に導く。
自らの様々な欲望の拠ってくるところを見極めることはいかに生きるかを問うことでもあろう。
(初出: 西日本新聞 朝刊 2007年12月16日)

評者:北九州市立大学館副館長・西日本新聞社書評委員 今川英子

引用:表紙は集英社新書サイトから引用

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