出版社:晶文社 著者:長田弘
発行:1984年3月
1998年春、ドイツでの生活が始まった。落ち着いた美しい街並み、自動車社会とうまく共存した公共交通。LRTやバスの行き先は、中心市街地にある大きな広場。車の入らない商店街。週末の広場は、市場と化し大勢の人でにぎわう。人口規模では測れない心地よい“ゆったり”感は、どこからやってくるのだろうか。
この問いに向き合った時、長く暮す友人の吉永俊之さん(久留米出身)から教えてもらった詩集。出版された1984年は、高度経済成長が終わりを告げ、モノからヒトへ、人間中心の成熟した社会を模索しなければならないとき。タイトル通り、日本全体に大きく「深呼吸の必要」が求められていることを警鐘した。日本の地域が、これから先どこに向かっていけばいいのか。そのヒントが本詩集に隠されている。一番のお気に入りは『散歩』。
ただ歩く/手に何ももたない/急がない・・・どこかへ何かをしにゆくことはできても、歩くことをたのしむために歩くこと/それがなかなかできない/この世でいちばん難しいのは、いちばん簡単なこと。
この詩に初めて出合ったとき、「まちづくり」の基本理念だと確信した。ただ楽しいから、歩く動機は人それぞれに異なっていい。そんな街中のたたずまいが、欧州には残っている、いや一度消滅してもまた元にもどす。『あのときかもしれない』は奥深い詩である。誰もが、あるとき子どもからおとなに意識転換する。それが「いつ」かについて、九つの事象をとりあげる。
自身のことを自分で決めるとき、狭い路地よりも車の通る広い道路を好きになったとき、親から「遠くへいってはいけないよ」と言われなくなったとき、「なぜ」という言葉を口にしなくなったとき、二人が直列的ではなく並列的に明るさを保つことの難しさを知ったとき・・・どれも、だれもが思い当たる大人の階段である。
“根を張る”“実を結ぶ”“花開く”など人生にまつわる言葉は、“樹”に由来するものが多い。著者の長田弘さんは、人はもともと“樹”だったと考えている。「言葉を深呼吸する。あるいは、言葉で深呼吸する。・・・そうした深呼吸のための言葉が、この本の言葉の一つ一つになった。本は伝言板。言葉は一人から一人への伝言板。」と結び閉じられる。「楽しむために、楽しませるために何かをすること」を教えてくれた“みちしるべ”である。
評者:日本経済研究所 地域未来研究センター長 傍士銑太
引用:表紙は晶文社サイトから引用