出版社:ミネルヴァ書房 著者:藤井淑禎
発行:2007年8月
研究論文や研究書の類は得てして面白くない。難解な言葉の羅列、重箱の隅をつつくような論文のための論文には辟易する。一方で時折り見られる、研究者のプライオリティをも無視したような注記もない引用の安易な解説書も腹立たしい。しかしこれぞという研究書に出会えると、読後の充足感は何物にも替え難く、作品世界のさらなる豊饒へと導かれる。本書はまさにその一冊である。
著者は既に「清張ミステリーと昭和三十年代」(文春新書)で、作品と時代との相互関係に着目、高度成長期という激動期と清張という稀有な個性のぶつかり合いが作品を生んだと述べた。
清張研究二冊目の本書では、清張を日本文学の系譜の中でとらえ、漱石から芥川、菊池寛に継承された小説技巧を受け継ぎ、私小説、純文学に敢然と闘いを挑んだ作家として論じている。
例えば4章〈「天城越え」は「伊豆の踊子」をどう超えたか〉では、前者の冒頭にさりげなく引用される川端の名作「伊豆の踊子」の一節に注目、全容を詳細に読み解き比較しながら、実はそれは純文学の代表格川端への挑戦であり、ついには「差別的独善的側面」を鋭く抉り出したと評価する。
あるいは8章〈小説とノンフィクション〉では、清張作品の初期に見られる小説性とフィクション性の混在を具体的に指摘。記録文学やルポルタージュが、「ノンフィクション」という呼称に収斂されていく過程での清張の積極的な受容と、事実と虚構、語り手の人称や視点の問題など、現在も続く方法上の模索が詳説される。
また9章〈メディアと清張ミステリー〉では、副題に〈女性誌との連携の諸相〉とあるように、週刊誌ブームのなかで「婦人朝日」や「週刊女性自身」などに連載された作品を克明に追い、三十年代前半の規範を逸脱した女性への懲罰的なメッセージから、高度成長期に入る後半での、つまずきを乗り越える女性への応援歌ともいうべき姿勢への変化こそが、女性読者の圧倒的な支持を勝ち得た清張流の「作戦」「戦略」と説く。
著者は〈あとがき〉で、読み物的評論が繰り返しと停滞とでできているのとは正反対に、研究書には蓄積があり前進があり、両者は性質も用途も違うと述べる。本著は清張ファンでなくとも、読みのダイナミズムを十二分に味わわせてくれる一級の研究書である。
(初出: 西日本新聞 朝刊 2007年7月29日)
評者:北九州市立文学館副館長・西日本新聞社書評委員 今川英子
引用:表紙はミネルヴァ書房サイトから引用