出版社:日本経営合理化協会出版局 著者:福沢諭吉/福沢武
発行:2001年2月
共産主義が崩れて20年を経た現在、今度は強欲な資本主義が金融バブル崩壊を招いた。混乱は経済のみならず社会全般におよび、昨今の事件には荒んだ人間関係が投影されているようだ。原点回帰、ここらでもう一度落ち着いて世の中の基本的な事象を深く考え、確認しておきたい。「福翁百話」はそんなニーズにピッタリの本である。福澤諭吉の晩年の著書を、諭吉の曾孫にあたる福澤武さん(三菱地所相談役)が監修され現代語訳したもの。私がロンドン駐在中に氏から直接頂戴した本である。テーマは人生観から学問、教育、家族、健康、国家と多岐に亘り、諭吉の鋭い洞察が簡潔明瞭に記され、随所に思わず二重丸と傍線を引きたくなる。例えば「金を貸してその金利により衣食する者は、事業を起こしてその利益を得る者にはおよばない」との行では、金融危機を招いた金融機関の慢心を恥じずにはいられない。また廃藩置県については、「実行は明治初年だが構想は大名全盛時代からあった、空想は実行の源」らしい。道州制もよく議論しよう。ロンドン駐在時、英国人から「なぜ日本は中国やインドと違って明治維新に西欧化を見事にやってのけたのか?」とよく尋ねられた。福澤諭吉はこの本に彼の回答を書いている。それは「日本に西洋文明が入って来た経路が物理学の門からであったから」であり、対して中国は商人社会から西洋文明を輸入した。東西の文明の優劣は、商業よりも科学の分野において明白であり、日本人が素直に西欧に追いつく懸命な努力をしたことを挙げている。教育についても「社会全体が自然に進歩し、また退歩するのも、その国に行われる教育法の勤怠に関係する」と。諭吉はこの時代の人にしては驚くほど女性の人権や人格に進歩的で、家族団らんについても「子女談笑の声は自然と一種の音楽になって・・・炉辺の渋茶は甘露のようで、手製のだんごは無上の美味である」と人生における幸せと肉欲や快楽の追求を峻別すべきと説く。明治維新、終戦に続く第三の開国といわれる今、日本が直面している壁を打破する鍵は家庭も含めた教育にあるのではないか。混乱を極めた明治初期、教育者として若き知性を啓蒙し、日本を牽引した福澤翁に学ぶことは多い。
評者:筑邦銀行 頭取 佐藤清一郎
引用:表紙は日本経営合理化協会サイトから引用