出版社:藤原書店 著者:石牟礼道子、多田富男 共著
発行:2008年6月
この往復書簡に交わされた言葉の、どの一つもおろそかにしてはならないと、読後、思わず小ぶりの本書を抱きしめた。
『苦海浄土―わが水俣病』で知られる作家石牟礼道子と、世界的な免疫学者多田富雄との、二〇〇六年春から二年間に亘る、魂の交歓とも言える往復書簡集である。
多田は七年前に脳梗塞で倒れ、右半身の完全麻痺と構音障害(言葉が話せない)、高度の嚥下障害(食物や水を飲み込むのが困難)が後遺症として残るも、詩人、能作者として再生。しかしこの二年は、前立腺癌の再発による放射線治療も重なり、苦痛との壮絶な戦いが伴った。人格を破壊しかねない苦しみから救ったのは、石牟礼との文通であったと述べるように、本書には人間の魂の極限の叫びとしての言葉が綴られる。
科学者である多田は、水俣に象徴される生命環境の汚染が地球環境にとどまらず、人間の魂までをも侵している危機を憂う。こうした問題を解決するものとして、科学の知と人文の知を統合する知の必要性を説く。さらに診療報酬改定により、リハビリ医療に上限日数が設けられ、リハビリを受けられなくなったことは、基本的人権の侵害であり、棄民政策であると「忿怒佛」のようにいきり立つ。
それを「人間精神の崇高さの記録」として全身で受け止めるのは、水俣の地にとどまり、そこに生きる「風土の精」を見守り続ける石牟礼である。多田は石牟礼を「姉性」と称す。全てを飲み込む絶対的な母性ではなく、同じレベルにあって共感し、ともに涙を流して苦しむ身近な存在としての「姉さん」であると。それは水俣病の告発と長い裁判の過程で、文学を拠りどころに静かに闘ってきた、忍耐強い優しさであるという。
こうした現世の苦しみを昇華するかのように、伝統芸能の「能」が両者で親しく語られる。石牟礼作「不知火」の水俣奉納の夜は台風到来の最中で、上演の時だけ奇跡のように台風が止まったことは記憶に新しい。多田のアインシュタインの平和思想を能にした「一石仙人」、原爆からの復活を祈る「長崎の聖母」などの新作能。現代、古代、神話の世界を自在に行き交い、喜びや悲しみを伝える時空を超えた演劇が、芸術の気高さとして現世の救いになりうるか。
お二人の、未来を見はるかす、祈りにも似た創造的仕事の持続を願わずにはいられない。
(初出:西日本新聞 朝刊 2008年7月20日)
評者:北九州市立文学館副館長 西日本新聞社書評委員 今川英子
引用:表紙は藤原書店サイトから引用